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とろサーモンは吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。のお笑いコンビ。2002年4月結成。 キャッチフレーズは、「おいしいとこどり定食」。 2008年、第38回NHK上方漫才コンテストにて、最優秀賞受賞。 == メンバー == * 久保田 和靖(くぼた かずのぶ、1979年9月29日 - )ボケ担当。立ち位置は向かって右。 : 宮崎県宮崎市(旧:宮崎郡清武町)出身。血液型はO型。身長175cm。 : 宮崎日本大学高等学校卒業。メガネをかけた小太り。バツイチ。 : 小学校の少年野球団では肩が弱いためファーストを守っていたが、当時からファーストミットより顔がデカかった。 : 中高の6年間、ソフトテニス部に在籍。高校3年のときにはインターハイに出場。 : 双子の弟がおり、東京でバンド活動をしているという。 : EXILEのKEIJIは小学校の同級生。 : 今までに相方を23人替えており、村田は24人目である。、また30人とも36人とも発言していたことがあるが本当の解散人数に真偽は不明。 : 田村淳(ロンドンブーツ1号2号)から有田哲平(くりぃむしちゅー)に似ていることから「有田」と呼ばれている(「ロンドンハーツ」のコーナー・タレコミ奉行より)。 : 父親がスパルタでよく竹刀を振り回していた。 : 大阪NSC22期生。村田と一緒にNSCを受験したが不合格となり、一年間働きながら浪人。風俗店(おさわりパブ)の店長にまで登りつめた(当時の月収60万円)が、強引な客引きで私服警官に逮捕されたこともある(当時、拘置された警察署で7番と呼ばれていた)。拘束中はずっとクリップの袋詰め作業をやらされていて、迎えに来た村田にできあがった2袋のクリップを渡した。 : baseよしもと内で久保田軍団なるものを作っており、団員には橋本直(銀シャリ)、濱家隆一(かまいたち)などがいる。 : 2007年、『マンスリーよしもと』の吉本ブサイクランキングで第5位(2008年は第4位)。baseよしもとのブサイクランキングで第2位を獲得。 : 通っていた自動車教習所の車に2度轢かれている。うち1回は村田に轢かれた。 : 以前初対面のオール巨人に挨拶に行った際、あまりに緊張し過ぎたため帽子と間違えてメガネを取った。それを見たオール巨人は「惜しいなあ」とツッコんだ。 : ケンドーコバヤシは「芸人としては100点。人間としては0点」と評している。 : テレビドラマ『アキハバラ@DEEP』にキャットファイトの審判役で出演。 : 自身のラジオで月収が60万円であると告白した。 : ソフトオンデマンドのアダルトビデオの開発を手がけており、既に数本作品が存在する。アダルトビデオの構成作家として手がけた作品は当初は売れ行き好調だったものの、月の販売本数が50本以下となり、現在は廃盤となってしまった。一時期、大阪芸人の宿泊先六本木ホテルアイビスの室内でも上映されており、後藤輝基(フットボールアワー)などが作品をほめていたといわれる。 : とろサーモン・SODの桃色製作所でゲストに来るAV女優のメールアドレスをしきりに聞こうとするが、北都や、マックスエーといった明らかな所属先がある専属女優には決して手を出さず、単体でフリーで活躍するような女優さんを狙っていた。 : ブラックマヨネーズの吉田敬と電車で移動した際、同じ車両にキレイな女性が乗っていたため、吉田に相談したところ「勇気を出してメールアドレス渡してこい」と言われ、アドレスを書いた紙を渡した。その女性からは無視されたが、面白半分で吉田が女性に成りすまして久保田にメールを出した(久保田は吉田のアドレスを知らなかったため気付かなかった)。すっかり有頂天になった久保田だったが、吉田が途中でネタばらしをすると激高し、電車の中にも関わらず「先輩後輩関係あらへん。お前マジで殺すぞ!」と怒声を浴びせた〔「ブラックマヨネーズの∞(無限大)番長」〕。 : 極度の高所恐怖症。番組の企画でバンジージャンプを飛ぶことになった際は、顔面蒼白となり最終的には土下座して頼み込んでバンジーを免れた(久保田の代わりにダイノジの大地が飛ぶことになった)〔2012年10月20日『バカソウル』〕。 : 若手時代、生まれて初めて女性からサインを求められ、これに喜んで応じたが、数日後、ネットオークションでその時のサインが30円で出品されていた。久保田本人が70円で落札したため、自身の手元にサインが戻ってくるはめになった〔2012年12月6日『雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク! もっともっとテレビに出たい芸人』〕。 : 戦極 MCBATTLEに参戦し、歴戦のMCに混ざってフリースタイルのラップバトルを披露したことがある。結果、ベスト8まで勝ち進んだ。 : 2015年8月24日に行われた戦極 MCBATTLE feat 芸人ラップ王座決定戦 第一章 ~ラップという名の口喧嘩タイマン戦~ では優勝を収めた。 * 村田 秀亮(むらた ひであき、1979年12月3日 - )ツッコミ担当。立ち位置は向かって左。 : 宮崎県宮崎市出身。血液型はAB型。身長178cm。 : 宮崎日本大学高等学校卒業。宮崎県生まれで8歳のときに徳島県へ。14歳のときに宮崎に戻る。 : 左利き。大阪NSC21期生。NSC時代に吉本興業の経営するパチンコ店にてアルバイトに精を出す。 : 2007年、『マンスリーよしもと』の吉本男前ランキング第13位(2008年は第14位)。baseよしもとの男前ランキングで第1位を獲得。 : 相方・久保田の妻と高校時代の友人で、奥さんの愚痴をよく聞いている。 : 父親は元々陳建民(陳建一の父)の弟子で、若かりしころは料理番組まで出演するほどの料理の腕前で、一目をおかれる存在だったが、紆余曲折があり現在は宮崎の山奥で木こりをやっているという。村田はそんな父親を誰よりも尊敬しているという。 : 酒に酔うとジャンプする癖があり、大阪アメリカ村にあるビッグステップの階段からジャンプし、両足を骨折したことがある。匍匐前進でなんとか最寄りの心斎橋駅まで到着したが、その途中後ろを見ると、なぜか久保田まで一緒に匍匐前進で移動していた。 : 『あらびき団』(TBSテレビ)に不定期で出演している。この番組にピン芸で出演するコンビ芸人は数多いが、彼の場合はマジックや演舞などの他人の見事な芸(あらびきではない芸)にナレーションを加える(技を披露する演者があらかじめ用意した音楽を消し、全く別の、村田用のBGMとともに勝手に加える)というもので、司会の東野幸治と藤井隆からツッコまれるところまでが恒例のネタとなっている。その独特のナレーションを生かしてSEGAの恐竜キングのCMの声を担当している。 : 2009年夏頃にプロデューサの飽きたとの判断で「アムロとアスカ」に交代で降板となる。しかし、司会の二人(東野幸治、藤井隆)は村田がまた戻ってくることを希望していた事で、2009年12月に様々なジャンルから選ばれた人物を集めた『J-1グランプリ』が開催された。しかし、結果はまさかの相方・久保田が合格してしまい村田は敗退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「とろサーモン (お笑いコンビ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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